今月から色々と変わります。
今月から、noteというアプリでこのブログに書いていた内容などを書いていこうと思います。
ジャンル的にもここよりもnoteの方が向いていると思ったので。
あと、更新も不定期にしようと思いました。
無理に書いても内容を無理やり作り出してしまっている感じと、自分自身にも苦しさがあったので、やり方を変えようと思います。
noteを更新する度にこちらにも貼ろうと思うので、どうぞよろしくお願いします。
「教えること」を教えること。|たっつー@僕にはアイデアしかない。 @tattu_s #note https://note.com/tattu_s/n/n5287e7bde64c
3月で会社を退職しました。
3月で会社を退職。
4月からは実家に帰って生活中。
次の現場が決まるまで、実家にいようと思って帰省したはいいけど、コロナの影響で現場が決まるか不安…
やりたいことはいっぱいあるので、いざ挑戦しようと意気込んでは見たけど、
調べてるうちにあれもこれもお金がかかるってのが分かってきて、どんどん億劫になっていく始末。
一念発起しないといけない、腹をくくらないといけない!!
そう思いながら堕落してます(´д`)
人間の意志とはこうも弱いものなのか…
かろうじてこのブログだけは何とか書いてるのがせめてもの救い。
にしても、休みの日の1日が凄いスピードで過ぎていく。
それが何より怖いね…
1年4ヶ月前もニートだったけど、2年間は本当にあっという間だったし。
何もしない時間というのは、驚くほど何も無く過ぎていくんだよね。
億劫な気持ちに潰されてるけど、それでも何とか挑戦してみよう。
少しづつても進まないと何も変わらないからね。
それと、このブログはnoteというアプリに移行しようと考えているので、その時はよろしくです。
noteの方が自由度が高く、ボイスも吹き込めるので僕としては使いやすい。
しかも、文章をまとめて売ったりも出来るので、なんだかんだ考えたらその方がいい気がしました。
ちなみにnote自体は前から少し使っていて、少々コンテンツも残ってたり。
そこら辺も少しずつ充実させて行けたら、多少副業にもなるかなぁと思ってて、そういう方面でも活動していきたい。
そんなわけで、これからもよろしくお願いします。m(*_ _)m
僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?を読んでみて
初版は2012年の本だった。
それでも十分、今知るべきことが書かれていたと思う。
資本主義社会の呪縛というのか、その本質を理解でき、仕事やお金について学べる1冊。
この手の他の本と違うところは、作者の理論がかなりしっかりと書かれているところかもしれない。
覚えておくために内容を自分なりに要約しておこう。
”価値”と”使用価値”
資本主義社会の社会には、
”価値”と”使用価値”がある。
この本で紹介されているこれらは
”価値”=それ作るのにかけられたもの
”使用価値”=それの需要
と、わかりやすく言うとこんな感じ。
会社員で例えるなら、価値はその人を雇うための代金。使用価値はその人が必要とされているかどうか。ということ。
頑張っても楽にはなれない
頑張って働くと給料が上がって生活が楽になる。と多くの人は思っている。
頑張って働けばお金が増えて幸せに見える。でも、働くために使われる生活費などの経費も増えていく。精神面での苦労も増えていく。
そうなると、確かに収入はあがる。
でも心は豊かにはならない。
なぜなら給料の分だけ相対的に経費や苦労も増えてしまうから。
そして僕達の労働は、平均的な価格で買われている。価値をあげない限りずっと同じ値段のまま。
労働者は1日働く労働を売っている。
どれだけの成果を出したとしても、その成果分だけ確実に給料が上がるわけじゃない。
買い手の会社は”1日働かせる権利”を行使しているだけだからだ。
それはレンタカーのようなもの。
その車を借りる値段は変わらない。
どこまで走らせるかは借りた人間が決めている。
レンタカーを1日借りているのに、走った分だけお金を取られたら客は怒る。
勿論成果主義型の会社もある。
でも、ほとんどの場合100万円売り上げだからといってそのまま100万円手に入る訳では無い。
社員は会社のためにお金を稼いでいるに過ぎず、そのために必要な必要経費のことを給料と呼んでいる。
残業をしたり、必死に頑張ったり。
使用価値を評価される仕事、つまりは求められているだけの仕事を多くこなしても、一時的には給料が上がるかもしれないが、そんな働き方は続けられはしない。
なぜなら、それでは何も残らなず自分の価値は上がらないから。
どう働くべきなのか?
僕らが楽になるためには、自分の価値を長期的に上げ続けられ、尚且つ使用価値のある仕事をしなければならない。
価値という土台を作り給料の底上げをする。
興味の持てる仕事をして、ストレスを減らす。
ということを念頭に置きつつ、
ずっと使い続けられる知識を蓄積し資産を作り、そして世の中に必要とされるものを見つけ仕事にしていく。
毎日、自分の中に何を残せたかを考えながら仕事を続けていくべきだ。
感想
正直、上手くまとめられていない。
重要なことは分かってるけど、結構過程の部分が本では細かく書かれているので、そこら辺が上手くまとめられてないと思う。
すごくざっくり言えば、
毎日意味のある仕事をして、自分の中に知識を蓄積し、それを活かして自分が興味のある仕事をしなさい。
みたいなことを言ってる。
価値と、使用価値については、論理的に資本主義社会の仕組み説明するために出てきた考え方なんだろうけど、まぁなくても分かるっちゃ分かる。
ツッコミどころもちょこちょこあったので、そこら辺は気になった。
でも、そこをツッコンだらこの本の理論はそこで止まってしまうと思ったので、仮定と解釈して読んだ。
この本の結論と同じようなことを過去に転職系の動画でメンタリストDaiGoが話していた。
なので、考え方としては元々あったものだけれど、それを導き出す理論(作者の考え方)はなかなか面白かったと思う。
真面目に頑張っても報われなかった経験がある人、今も毎日くたくたになって働いている人。
そんな人は1度読んでみてもいい本じゃないかと思った。
住宅の展示場は楽しい。
住宅の展示場は、周りにライバル会社が並ぶという特殊な環境。
お互いがお互いを意識しあっている。
そんな中で話を聞いていると、「向こうではこういってたけどほんとかな?」と思うようなことがある。
気になったら直ぐ話に出ていた会社に行って直接話を聞いてみる。
そうやって情報収集していると、家について重視すべきポイントや、ライバル店舗の弱点など、家選びの様々基準を知ることが出来る。
例えまだ家を買う予定がなくても、展示場で夢を膨らませたり、景品狙いでアンケートに答えても楽しめる。
僕にとっては遊園地みたいな場所だ。
ということで、僕が体験して考えた展示場で見るべきポイントをちょっと紹介!
他社に負けている部分をわざと話題に出してみる
例えば防音性などにあまりこだわりがない会社に、「防音性は○○社さんの方がいいですよね?」とか、「○○社さんと比べてどれくらいの違いがありますか?」などと話を聞いてみると、違いの差がわかるので家選びの時にどれだけ重視するのかの基準が出来る。
そして、大抵の場合自分達に有利な情報しか言わないのが、営業というもの。
就活の面接などでもよく「悪い部分をわざわざ言うな」と言われるけど、むしろそこをちゃんと説明してくれる人の方が信用出来る。
その中で更に他社の悪い部分を言って比較している場合は、話に出てきた会社の展示場に直接行って、話に出ていた悪い部分をもう一度聞いてみる。
そうやって展示場を回っていると、多角的な情報から、何を売りにしている家なのか?コスパ的にどうなのか?など、自分が知りたい情報を集められる。
何を妥協すべきで、何を拘るべきなのかというような、自分の理想が分かれば後々家を建てたくなった時に役に立つ。
家は資産という考えを持つ
家は資産。資産ではあるけど、基本的に建ててからどんどんその価値は下がっていく。
でも、税金は払わなければいけないし、壁や屋根の補修、家具や家電の買い替え、壊れたところのリフォームとどんどんお金がかかってくる。
建てる時に安い家を選びがちだが、見えないところの内装(断熱材などの材料)の手抜きや、人件費の削減でコストカットしている場合が多い。そうすると、買った時は安くても後々にお金がかかってくるものが増える。
例えば、断熱材をケチると外気の温度が家の中に伝わりやすくなり、夏なら冷房費、冬なら暖房費がかさむ。
それを何十年単位で計算していくと、かなりの損失になる。しかも断熱材自体の耐久年数も15年程と短い。
ただ、あるメーカーが使っている断熱材にはほぼ劣化しないというものもあり、それであれば初めは高くても、断熱材を取り替えるコストを考えれば安く済むのかもしれない。
この他にも、壁の塗装だったりと必ず何十年か後に必要になる経費がある。
そのことを頭において置けば、忘れた頃にやってくる外壁補修で「塗装しないといけないの!?」と急な出費に頭を抱えなくて済む。うちの親のことだけど(^_^;)
そして、資産として家を見る時はもう1つポイントがある。
それなりのメーカー住宅であれば、メーカー以外の住宅に比べて資産価値が落ちずらい。
家と土地を売って住み替えるとなった時に、メーカー住宅の方がブランドがある分需要が高いからだ。
細かいことを言えば、見るべき所は他にもまだまだある。ただ、少なくとも上に書いたことは最低限知っておいて損はない。
家に夢を見る
現実的な事ばかり書いてみたけど、モデルハウスを見ると夢が広がる。
こんな家に住んでみたい。
こんな家を建ててみたい。
そんなことを思いながら、生活を妄想してみたりするのも楽しい。
中々高くて手が出せないかもしれないけど、
将来こんな家に住みたいなぁと夢を思い描きながら、日々のモチベーションにしてみたり。
未来への活力を思い出させてくれる場所なのだ。
なんでも出来る気がして、なんにもできない気がする。
久しぶりに、自分のことについて書いてみよう。
知ってる人は少ないだろうけど、僕はほんの1年数ヶ月前までニートのようなフリーターのような生活をしていた。
その前は一応上場企業にいたけど。
そんな社会で言うところの底辺から、何とか色々と紆余曲折を経て、多少なりともできることが増えた。
そんな今になっても、自信というものはほとんど湧いてこない。
出来ることが増えるほどに、自分の出来なさを痛感する。
「これが出来るならあれも出来そう」という気持ちと、
「きっとこれ以上は努力でどうこうならない」という気持ちの両方が同時にある。
だから、なんでも出来そうで、なにも出来なさそうな気持ちになる。
1つのことを突き詰められる人は凄い。
そんな風になれたらとよく思う。
でも、なれないことは分かっているし、なれないからこそその分だけ好奇心が色んな方向へ向く。
浅く広く色んなことを色んな角度で見て、不器用ながら必死に理解しようとする。
それでも大抵の事は理解できなくて、人より頭の回転の遅さを身をもって知ることの連続。
自分が出来なくて、躓いて悩んで苦しんだことが多いから、出来ない人の気持ちはよく分かる。よく分かるから、親身になって教えてあげることが出来る。
そうやって上手く自分の短所を長所に変換しないと、ほんとに自分の長所なんてどこにもないような気がして、実際はいつも不安だらけだ。
基本はネガティブというか、マイナス思考の部分が多いと思う。決して初めから楽観的には考えられなくて、自分の中で噛み砕いて最悪の事態を想像することで楽観視するようにしている。
変えたい自分と、変えたくない自分の間で試行錯誤を繰り返しながらずっと漂ってる感じだ。
本を読んで「人の目を気にしないようにしよう」と気にしていることが、そもそも人の目を気にしてしまってるんだと思うし、そうそう根の部分は変えられないと思う。
それでも、臆病で弱い人間だからこそ見つけられることもあるし、そういう小さなものを拾い集めて自分の武器にするしかない。
ちゃんと結果が出た時は、「ああ、良かった」と思う反面、「もっとよく出来たんじゃないか?」と考える。
そうして誰かのために工夫しながら突き詰めていけば、自分らしいやり方も見つけられると思う。
迷いながらでもとりあえず進むことが、思わぬ結果に繋がったりするから、何もしないよりは、して得られることで学んで行けたらいい。
なかなか踏み出せない誰かを勇気づけて、その手助けをするような仕事が出来たらいいなと言うのが今の僕の目標だ。
戦争とコロナウィルスから見る人間の特性。
最近、新型コロナウイルスが猛威を奮っている。
それに加えてデマ情報などが広がり、関係ない品物の供給が増えたり、なんだかおかしなことになっている。
混乱に乗じて、ビジネスチャンスと捉えている人間はそう少なくはないんだろう。
株などを見ても、買い時だとSNSで発言している人がいたり、マスクを転売している人もいる。
常に客観視や別の視点を持って現状を捉えている人間は、今の事態を良くも悪くも利用している。
そして、いつも情報に踊らされているのは、利用されている人間だけなんだ。
たまたまテレビを見ていたら、3月10日におきた東京大空襲の特集をしていた。
東京大空襲のことについて話す訳では無いけど、そこから少し戦争とコロナウイルスの関係性を考えてしまった。
知らぬものは常に情報に踊らされ、踊らされていることにさえ気付かない。
戦争の時もそうだったのだろう。
敵は悪い人間で、それから国を守るために戦う。
そうしないやつは国家への反逆として罰を受ける。
上から与えられる情報だけが全てで、彼らには疑う余地などなかった。
それ故に正義を掲げ、それを信じて罪なき人間同士が望まぬ戦いに身を投じたのだ。
そこから人は何を学んだのだろうか?
戦争の恐ろしさを学び、戦争をやめたのだろうか?
情報を鵜呑みにすることをやめ、考えることが大切なんだと知ったのだろうか?
いいや、きっと何も学んでいない。
ここでコロナウイルスによって起きていることを合わせて考えてみれば分かる。
トイレットペーパーが不足するという根拠の無いデマに踊らされて、人々は大量にトイレットペーパーを買い求めた。
いとも簡単に騙されている。
しかもそれは集団に伝染していく。
まるで宗教のように、ある一定の人間が信じてしまえば、つられて信じる人間が増えていく。
それが広がれば広がるほど、思考を失った信者は増えて、勝手に嘘の情報が真実になる。
その繰り返しは歴史は歴史の中で何度も起きてきたことなのだろう。
だから宗教は存在するし、戦争は今も続いているんだ。
今回起きたコロナウイルスのパンデミックは、果たしてどんな結末を迎えるのだろうか。
個人的に、日本社会に対しては良い尻たたきになったと思う。
これだけ技術が進歩しているのに、なかなか活かせてなかったリモートワークなどの技術利用が広がるきっかけを作ってくれたと思う。
自分たちの命が危機に瀕したことにより、会社の対応に対する憤りや、社会に対する憤りもより表面化した。
これで社会全体が変わっていくのなら、意味のある事だったのだろう。
何も変わらなければ、まだまだ尻たたきが甘かったのだろうし。
この経験が日本のみならず人類にとって価値のあるものとするかどうかは、自分達人間次第なんだろうね。
メダルゲームにはまだまだ発展する余地が残されている。
最近、地元のイオンのゲームコーナーにメダルゲーム機が多く置かれるようになった。
クレーンゲームは残っているものの、100円を入れるゲームは減り、ほとんどメダルゲームになりつつある。
メダルゲームの客層を見てみると面白い。
小さい子供から、お年寄りまで幅広く、逆に中高年や10代~50代くらいの客はほぼ見かけない。
子供とお年寄りという両極端な組み合わせで、メダルゲームは賑わっている。
近所との人間関係が希薄になっていく中で、なかなか外では遊べない子供たちの憩いの場となっているのかもしれない。
それはお年寄りも同じで、人との関係が築けず、かと言って現代技術も使いこなせない人達は、メダルゲームという分かりやすい娯楽にハマる。
でも、やってみれば分かると思うが実際にメダルゲームは面白い。多少のギャンブル性もありつつ、上手くやれば100円で色々なゲームを遊び続けられる。
子供たちにとっては、ある意味お金の勉強にもなるし、お年寄りには交友の場にもなったりする。
あまり取り上げられることも、CMで紹介されることもないメダルゲームだが、そこにはある一定層の大きな需要があるのではないか。
何もかもがデジタル化していき、ものを持つことがなくなっていっても、レコードやカセットテームに引き寄せられる人がいるように、アナログな魅力というのは消えない。
上手くメダルゲームを通して、例えば仮想通貨などと連携させられたらどうだろうか?
やる人間の幅も広がるし、もともとやっていた人達の楽しみも増える。
メダルゲームというジャンルにはまだまだ大きな可能性があるのではないかと、メダルゲームが増設されたゲームーコーナーを見てふと思った。
ちなみに最近見るのにハマってるのは釣りスピリッツ。
子供達が一生懸命魚を釣ろうと考えて、ロッドを巻いてる姿がすごい面白い!メダルゲームなのにスポーツ感があってみんな本気だ。
ちょっとしたスポーツ観戦感覚で見ている感じ。
他にも、メダルゲームのがっぽり寿司とかは、システムとしてはルーレットなのに、寿司のネタを的中させるという新感覚。
可愛い見た目、でも中身はギャンブル。
そんなギャップも面白い!
日本人の娯楽に対する工夫には本当に感心させられる。
世界のカジノとかでも是非このユニークなゲーム性を広めて欲しい!
いくらでも需要はあるはずだ!!