常識を疑うこと。それは革命を起こすこと。
「常識を疑う」
これは、進歩、進化、成長、革命、変化
なんとでも言い換えられるほど、その素となるもの。
常識は常に変化し、古い常識はおかしなものと認識されるようになる。
なら、新しい常識は最初から受け入れられるのかというと、そうでも無い。
異質なものとして捉えられる。
イレギュラーそのものだから。
思春期や反抗期のように、変化には不安定な状態が必ず来る。
それを経て、今の常識が作られている。
僕の世代でどんぴしゃなのがスマートフォンかな。
スマートフォンなんて、ほんの十数年前まで誰もここまで普及率が上がるなんて予想もしていなかった。
それなのに、今じゃ持ってない人の方が珍しい。
何が言いたいのかと言うと、常識を覆す。つまり、未来の常識を生み出せば、
それがこの世界を変えてしまうかもしれないってこと。
「そんなこと言ってもスマートフォンなんて作れない…」
って思うかもしれないけど、
別にスマートフォンのような凄いものを作れってことじゃなくて、
身近な常識を疑えば、そこに大きなヒントが隠されているよってこと。
インスタントラーメンも、揚げ物からヒントを得てるし、
最近売ってるどこでも切りやすいハサミも、数学を利用した仕組みで作られている。
日常的に当たり前な行動をし続けていると、それに慣れてしまって疑うことをやめてしまう。
まぁ順応するというのは、それはそれで凄いことだよ。僕にはできないから思うのかもしれないけど。
今のままで満足してるならそれでいいし、
幸せで不満もないなら何も言わない。
でも、
「そうじゃない!このままじゃ嫌だ!」
って
何かを変えたいと思うなら、
疑うこと。
それは本当にそれで正しいのか。
もっといい方法があるんじゃないのか。
そうやって一人一人が考えれば、
未来の常識を作ることが出来る。
それが僕達人類にとっての前進なんじゃないかな。
ちなみに、最近思ったのは
なぜコーヒーは引き立てでカップで飲めるのに
日本人の朝食の友、「味噌汁」がカップで飲めないのか?
それが不思議で不思議で…
感覚が違うから?なのかな?
ペットボトル型の冷製スープがあってもいいと思うし、広い器容器のご飯があってもいいんじゃないかな?
ああ!どんどんアイデアが浮かんで来る!!
と、キリがないのでこの辺にしときます!
じゃあまた!