地方創生に必要なのは、地方に住む人間達の価値観を破壊すること。
地方創生。
最近は聞かなくなった言葉。
それでも廃れて行っている地方はいくらでもある。
でも、救えない。
救われる側が救われる努力をしようとしていない。
救おうと人が助けに来てくれても、
やれタンカーがいいだの、救急車で運んでくれないと嫌だの、我儘に注文をつけているようなもの。
そりゃあそんなやつ見捨てたくもなるわって話である。
だからこそ、そいつらの価値観をぶち壊すことが地方創生への近道なのだろう。
もしくは、滅びるまで待ってから立て直すしかない。
地方が廃れる原因
これは、上で書いた通り、
”我儘で自己中な地方市民”の存在だ。
若者は何も考えていない人が多いだけで、毒にも薬にもなってはいない。(まぁ考える視野も、そこに費やす時間もないのかもしれない)
ので、若者はとりあえず置いておくとして、
問題は、それなりに歳をとってゆとりのある大人達だ。
特に高齢者なんかは、「ダメだダメだ」と口にはすれど、頭の中では何も考えてはいない。
考えてはいないくせに難癖だけはきっちりとつけてきて、これが正しく老害というものなのだろうと思った。
現に僕の家から1時間足らずのところにある寂れた町には、道の駅を経営する知り合いのおじさんがいるが、おじさん曰く、
「新しいことを使用とすると、自分だけ儲けようとしている!と後ろ指を刺される。じゃあ代わりにやってくれと言ってもやろうとしない。」
と、嘆いていた。
おじさんは70程だが、同世代の価値観に呆れていた。
行動に移そうと努力する人を応援するのではなく、足を引っ張りたくてしょうがない。
自分たちが大変だから、そこから抜け出そうとするやつがゆあるせない。
なんかどこかで見たことある光景だ…
そう、ブラック企業。
地方も結局のところブラック企業と体質は変わらない。
地方を廃れさせてるのも人間で、
ブラック企業を成り立たせているのも人間だ。
どこにいても人は相変わらず人で、
その人が自分達で自分達の首を締めあっている。
これを変えるには、無理矢理にでも大きな衝撃を与えて目を覚まさせるか、
寿命を迎えて滅ぶのを待つかの選択肢しかないのだろう。
僕は地方を創生したい
上で散々言っているが、僕は基本的に地方が好きだ。
人が好きな訳ではなく、人以外のものがとても好きだ。
朝目覚まし時計のうるさい音ではなく、顔を撫でるような木漏れ日と、草木のサラサラとした優しい音に起こされる。
風邪は気持ちいいし、うるさい騒音もない。
満員電車には乗らなくていいし、蛇口からはミネラルウォーターが出てくる。
人が少ない分、人1人の価値も高くなる。
都会のように履いて捨てるほど人がいれば代換えがきくかもしれないが、田舎だとそうはいかない。
一人一人を尊重しなければすぐに廃れてしまう。
だからこそ、古い考えに縛られていない若者だけで、田舎のコミュニティを形づくれたなら、そこは楽園になるかもしれない。
決して裕福とは行かなくても、得られる心の豊かさは都会には絶対にないものだ。
今や、インターネットなどのネットワークを駆使すれば、離島や山奥でもない限り不自由はない。
自然の中でだって都会にいるのと同じような仕事もできる。
そうやっていいとこ取りをして、ハイブリッドな生活スタイルを提案していけば、地方創生も夢ではないと思う。
僕が考えている起業プランの中にも、地方創生出来そうなものがある。
あとは仲間が必要だ。同じ思いと、違う知識を持った仲間が。
もし、似た考えで世界を変えようと思う同士がいたら連絡して欲しい。
僕のプランを役立てて貰えたなら、それで地方創生が成せるのなら、これ程嬉しいことは無い。
廃れゆく地方を、生まれた故郷を、共に守って行けたらと思う。
おわり。