変わった僕の、変なブログ。

僕の考えとかアイデアとか面白かった本とか新しい商品とか、覚えておきたい、残しておきたいものを書いてます。

日本教育には、大きく分けて3つの問題がある。

 

さて、親でもない僕が子供の教育について語るのは、些か不満を持たれる方がいると思います。

ですが、その不満持っているということが既に、学ぶ事を辞めている証拠なんです。

 

学ぶことをやめている人間は、教育者に向きません。

人を教え育てるということは、人から学び育つということだからです。

 

それが理解出来た方だけ、この先を読んでください!

理解できない方は、多分時間の無駄になってしまいますので、読む必要は無いと思います(^-^)

 

では早速本題に入ります。

 

 

食の教育"食育について"

 

貴方は食育とはどんなものだと思います?

食育について考えたこともない人の方が大半だと思います。

 

僕が考える食育とは、

道徳心に由来するものだと思っています。

 

命を頂き、それに感謝する。

それは、という存在に対して敬意を払うこと。

なぜ残してはいけないのか?

なぜ粗末にしてはいけないのか?

 

その理由を教えている先生がどれだけいるでしょうか?

その理由を教えられている親がどれだけいるでしょうか?

 

いないんですよ。

ただ口に出す作業としての、

「頂きます」「ごちそうさま」

にはなんの意味もないんです。

 

そこに心が伴わなければ、

なんの価値もない。

 

そうは思いませんか?

僕はそう思います。

 

だから、「頂きます」や「ごちそうさま」を

言ったかどうかより、

食べ終わったあとの皿を見ます。

 

よく食べ方は人を表すと言いますが、

食べ終わりにこそ人は現れると思っています。

 

言葉ではなく、それを心で実行していれば、

皿の上は綺麗になっているのです。

 

それこそが、感謝の心だと思います。

行動に出ているものこそ、本質ではないでしようか。

 

子供たちには、例え残酷でも、

命を奪い、調理する体験をさせるべきです。

それを通して、道徳心を学んで欲しい。

 

日本は、食の先進国なのに、

食を大切にする心を忘れてしまった。

それが年間出ている残飯量に現れています。

あまりにも食べ物を無駄にしているのです。

 

食育は、食の問題だけではなく、

優しさ慈しむ心にそれが繋がっていると僕は考えています。

 

 

お金の教育"生き方の教育について"

 

僕らは小学校でお金の稼ぎ方を教わりません。

これは、洗脳だとは思いませんか?

どこかの組織に属して、誰かの人間の下で働き、そうやってしかお金を貰えない。

そやってしか生きられない。と。

 

個性を持ち、そのせいで居場所がなくなった人達は、

精神的に追い詰められてしまいます。

でも、自分で稼ぐ方法を知っていれば、

生き方の選択肢を増やせます。

自分の個性を活かす方法を見つけられます。

 

だからこそ、この先の時代を生き抜くためにも、お金に関する教育が必須になっていくと思うのです。

 

子供のうちから、お金を稼ぐためにはどんな方法があるのか?

どんな風にお金というものが回っているのか?

をちゃんと教えていくための教育が学校にはありません。

 

お金のスクールでもない限り、

親が教えるしかないのです。

 

子供に教えることが出来なければ、

共に学んで行けばいい。

 

教えるとは、教わること。

 

 それを知っていれば、

人は学ぶことをやめはしないのです。

 

お金の教育は、生きるための教育です。

 

最も生きるために重要な教育が抜け落ちているのは、由々しき大問題ですよね。

 

 

教える側の教育"教育者の教育について"

 

教える側の教育。

これが何せ全く問題視されていない。

 

おかしいんですよ。

教える側が教える能力を持っていないのに、

その役職についているんです。

 

学校、会社、どこでもそうですが、

果たして、どれだけ人に教えられる人間がいるのでしょうか?

 

僕のブログを読んでくださっている方なら分かると思いますが、

教えられる能力を持つ人間は、

第一に、学び続けている人間だけです。

 

これだけは絶対です。

 

何故かと言うと、

聞く能力があるかどうかがそこで分かるからです。

 

聞くというのは、話すことよりも圧倒的に難しい。

相手の話を流すのではなく、聞くのです。

聞いて理解して、自分の考えを話す。

 

常に学び続けていなければ出来ないことです。

 

だからこそ、ひとつの基準として、

"学び続けていること"

と、僕は何度も言うのです。

 

学び続けてさえいれば、

自分の過ちにも気づきます。

改善ができます。

変えていくことが出来ます。

失敗が糧になります。

 

でも、それが出来なければ、

いつまでたっても愚かなままなのです。

 

最近、よく聞きますよね?

「新入社員がすぐ辞める。」

「我慢が足りない。」

ゆとり世代だからだ。」

 

愚かな人間の典型です。

何も学んでいないんですよ。

 

新入社員の話すら聞いていないし、聞こうともしていない。

自分のエゴを押し付けて、相手を呆れさせている。

だから辞めるんです。

 

彼らの言葉を聞けば、何が原因かなんて一目瞭然なんですから。

 

ある起業家の人の話では、優秀な人材ほどすぐに辞めるそうです。

1週間や、1ヶ月程度で見限るそうです。

その会社にいることにメリットがないと判断出来るから。

 

その通りだと思います。

学習のできない上司を追い抜いたところで、その会社自体にどれだけ学ぶ価値のある人間がいますかね?

 

いるわけないんです。

似たような人間しか残らないですから。

 

だから、自分が学べるものは無いという判断を下した。

既にそうやって学んでるんですよね。

観察するという手段で。

 

学ぶこと辞めた人間は、既に過去の存在です。

その人はもう目標になどならない。

過去に向かって走る人間などいないのだから。

 

辞めてしまう新人に、お金を払ってでも理由を聞くくらいの度量があってもいいと思います。

プライドが邪魔してできないでしょうけど。

だから、その程度の人間なんです。

 

学ぶということが、どれだけ重要かわかって頂けたかと思います。

分からない方は、残念ながら救いようがありません。

 

教師でもない僕が、ここまでのことを言うと、

「やってないから分からない!」

「俺と同じ立場に慣れ!」

という人がいますよね?

 

どうして、自分の経験でしか語れないのか。

僕には理解できないのです。

 

教師ではなくとも、教わったことはあります。

教わる側の気持ちがわかるなら、教える側の注意点を1番知ってるのは、教わる側なんです。

 

そんなことすら、分からない時点で、

教える才能がないと言い放ちます。

 

人に教える時に必要なことは、

何よりもまず"学ぶ"ことですよ。

 

まずは、話を聞くことから始めて見てください。

必ず、一目置かれる存在になれます。

 

 

以上日本の教育における3つの問題でした。

 

ではまた。