統計学とAI、言葉のトゲ、僕のお金への価値観。
ちょっと今回は趣向を変えて三本立てでお送りします!
描きたいことが多い割に1つのテーマについての情報量が少ないので、三本立てで書いてみることにしました!
統計学とAI
統計学でAIは出来ている。
何度何度もパターンを覚えさせて、AIは作られていることが多い。
と、言うことを考えている時にふと疑問に思う。
「あれ?そもそも生き物も統計学の産物では?」と。
もちろん、誰かの意思がそう進化するようにしむけた訳では無い。
でも、遺伝子に刻まれた経験や、今生き残っている生物達は、自然と統計学的に残ったものなのではと。
生物は必ずと言っていいほど、イレギュラーな存在が出現する。それが環境に適応したり、生き残ったりすると、その遺伝子が受け継がれていく。
その前に存在した種は適応できずに消えていったりする。
種族という大きな枠で、淘汰されるものとそうでないものが選ばれている。
これが、自然の統計学だと僕は思う。
”進化=統計学”と言えるのかもしれない。
そう仮定した時に、「AIは人のように思考できるようにはならない」という話は否定できるのではないのか?
人や動物が持つ感情や思考が、統計学的な進化の果てに産まれたものならば、それがAIには発現し得ないとは言えないと思うのだ。
そう考えると、
「もしかしたら、本当に近い将来ロボットは夢を見るのかもしれないなぁ」なんて、アイロボットのセリフを思い出しながら少しわくわくする。
言葉のトゲ
言葉のトゲがよく刺さる。
僕が気にし過ぎるからかもしれない。
会社で、たまたま荷物を運ぶのでカバンを肩がけしていた。そのまま荷物を運んで、次にやることがなかったので、立ったま待っていたら「帰りたいみたいじゃないか。カバンを下ろしなさい。」と言われた。
なんだか、モヤっとした。
荷物を運ぶという目的があって、肩にかけたのに、その言い方をされるとすごく気持ちが悪い。
そういう一言がチクチクして嫌だ。
他にも、お客さんに説明する時間を間違えてしまったことがあった。別に時間がわかっていないのに伝えたのではなく、先日に説明していた内容をそのまま伝えてしまったのだ。
それなのに、「分からないならちゃんと聞いてっ!ほんとにちゃんと聞いてねっ!」と何度も何度も言われた。
これも言われる度にモヤモヤした。
ちゃんと原因を聞いてからなら、きっとそこを何度もいうことは無い。
ヒアリングが出来ていないことによるすれ違いだ。
たった一言「どうして間違えちゃったの?」と聞けばいいだけのことが出来ていないだけで、意思の疎通がズレてしまう。
言っている方は親切心を持っていても、言われてる方は「違うんだよなぁ」と納得出来なくなってしまう。
難しいことだけど、きっとこれはスルーしていいほどどうでもいい事じゃないと思う。
小さな不満のちりが積もって、山のような不満が出来てしまうから……
噴火する前に、ちゃんと話をしないとね。
ここまで気にしてると、本当に疲れる(^_^;)
でも、自分が人と対峙する時の反面教師として、いい勉強だなぁと思う。ことにしてるw
僕のお金への価値観
人に対しても、自分に対しても、
お金というものを使った勝ちの提供がなんだか嫌だ。
費用対効果?なのかな…
僕が大きく価値を置き、でも他人が小さく価値を見積るものが多分お金。
僕は1000円の使い方さえも数時間悩む。
時間あたりの価値で計算してるのではなくて、その1000円をなにに使い、それによって得られるものがなにか?を追求している。
僕にとって1000円は、それだけ価値あるものなのだ。
なのにみんなポンポン使ってしまう。
いともあっさりと使ってしまう。
その人が1000円に置いている価値は、圧倒的に僕より低いだろう。
だから、その人と同じ価値観でお金を使いたくない。
御中元とかのプレゼントのあげ合いのように、喜ぶことを前提とした要らないものの交換も好きじゃない。
お互いが納得してやるならいいけど、そこに他人まで巻き込まないで欲しい。
少なくとも僕は全く価値を感じていないのだから。
めんどくさいやつって思うかもしれないけど、それが僕の価値観であり個性だ(´ー`)
お金への価値観は、「うちは貧乏だ。」と言われ続けた幼少期と、僕の細かい性格が合わさって産まれた価値観だと思う。
だから、あまりにもお金への価値観を大きく置いてしまうのかもしれない。
ただ、逆に誰かに対して時間をかけたり、なにかを教えたりすることは、なんとも思っていない。僕にとっては楽しいことで、自分が学べるいい機会だと思ってる。
なので、なにかを教えたから恩を返せとは言わない。仇でさえ返され無ければいい。
人になにかをする時は、それが自分にとって納得できることをするべきだ。見返りを求めなければいけないようなら、それはやらない方がいい。
見返り前提の関係性なんて、あるだけ煩わしいから。
こんな感じで、僕以外の人達の価値観も多分違っていると思う。
常識というものに人は囚われてしまっているけど、そもそもその常識が多数決で決められてるだけで、それぞれの人が持つ常識さえも完全共通ではない。
そう考えれば、多様性というものの本質が見えてくるような気がする。
自分の価値観が全てではないという自覚を持って、お互いがwin-winになれる人間と関わればいいと思うのだ。
絶対の正解も、絶対の間違いもない。
ところ変わればなんとやらで、すべからく曖昧なのだから。
気になったら聞いてみて、
「その人の価値観は、そういうものなんだなぁ」
と、そんな風に思える心の余白みたいなものを皆が持てればいいのにね。
そんなわけで、僕はなるべく他人の価値観を許容するように心がけてます!
終わり。