優しさと、悟りは同じものかもしれない。
優しさとは、なんなのだろうか?
そう考えているうちに思考の迷路に迷い込む。
人によって違うその定義を問うこと自体が、
間違いなのかもしれない。
「愛とは?」「正義とは?」
と同じように、尽きない答えが返ってくると思う。
だから、ここで語るのは僕の思う”優しさ”の話だと割り切って欲しい。
反論とか意見が出たら、ぜひ僕のTwitterにリプライして頂けたらと思う。
僕の思う優しさ
性別や、世代、立場によっても変わってくる。
そんな優しさの定義。
特に僕が疑問を持ったものを取り上げてみようと思う。
・女性が思う男性への優しさ
さりげなく○○してくれるというやつ。
それ、さりげなくないし…
って毎回思う。
あからさまな優しさを出す人間の方が、同じ男からすると怖い。胡散臭い。
だってそれってつまりは、その先にあるもののためにやってるやつでしょ…って。
「こうやればモテるし、ころっと落とせるから」ってやってる事の方が大概でしょ?と。
だから、結婚してから「あんな人じゃなかったのに…」って話になるんだよ。
元々そういう人間が欲望のために猫かぶってただけでしょ…
釣った魚に餌やらないだけでしょ…
男も馬鹿だけどさ、女も大概だと思うんだよね…お互いにお馬鹿なのよ…
だから、こういうあからさまな優しさ(さりげないと思ってるやつ)は気をつけておいた方がいいと思う。余計なお世話かもしれないけどね。
結局、長く付き合うなら素を理解しなきゃいけないし、あとから嫌なところばかり見つけると幻滅するわけで。
だったら最初から素で合う人を見つけた方がいいよって話でした。
ちなみにですが、僕はその点でいうと全く優しくないので…w
常時素ですw
・なにかを教えてくれる優しさ
この優しさもよく疑問に思う。
何かの答えをすぐに教えてくれるという優しさ。
それは、一見優しさに見えるけども、かなり浅い優しさの部類だと思う。
確かに教えてくれる本人は優しさのつもりなんだけども、教えられてる人にとってためにはならない。
その場しのぎになってしまうから。
ちょっと難しい例えを出すと、綺麗な水を確保できない発展途上国に、食料だけを送っているようなもの。
これは、その国の支援に依存させてしまうため、支援しているようで依存させているだけ。その支援が無くなった途端に滅びてしまう。
なので、食料を送るのではなく、綺麗な水を作る技術だったり、見つける技術を教えて、自分達で変えていけるよう導くことが本物の優しさだと思う。
同様に、人に何かの答えをすぐに教えてしまうのではなく、そこへ至るための知識や考え方を教え導くことが、優しさの最上級なんじゃないかな。
だって、それが教える方も教わる方も一番大変だし、時間もかかる。
それを厭わず教えてくれるんだから、凄く優しいと思う。
だから、単純な優しさに騙されないで欲しい。
本当に優しい人は、あなたの今ではなくその先を見据えて考えてくれてる人だから。
まぁ優しさに気付くのも知識がないと難しいのかもしれないけど(^_^;)
こんな感じで”この優しさ”ってなんやねん!
と考えることがある。
総じて言えるのは、安易な優しさは薄っぺらいってこと!
してあげる相手のことを考えれば考えるほど、安易なものではなくなるし、気付かれないものになっていくからね!
優しさは悟りと同じじゃないか?
優しさを深く考えれば考えるほど、そこに辿り着く気がする。
悟った状態と優しさって同じなんじゃないかと。
仏様とか、穏やかな顔をしてるのは悟りを開いたからでしょ?
ありとあらゆることを受け入れて、考えて、
それで世の人々を救おうとしてる。
悪い人間もいい人間も。
どんなことも受け入れて許す。
それって究極の優しさなんじゃない?
逆に怒っている人や、怒鳴っている人は、他人を許せないから全然優しくないしね。
だから、悟りと優しさは同じ終着点なんだと思う。
穏やかで優しい人は生き仏なのかもしれないよね。
そんな優しさの極みみたいな人ほとんどいないけどw
僕があまり怒らないのは、怒るだけの労力を使うほど大切な相手ではないからで、優しさではないですよ!w
そんなやつもいるので、優しさってのは安易に測ることができない難しものだってことだけ覚えておいて下さい!
おわり。