日本の英語教育って…
日本の英語教育ってさ、
どうなのよ?と、ふと思って。
あ、ちなみに僕は一切英語喋れないけど、
ホームステイしに来た留学生と楽しく遊ぶことは出来るよ!w
って言ってもやっぱ喋れるに越したことはない。
でも、喋れないし好きじゃない。
なんでだろう?なんでそうなったんだろう?
そんな風に考えていくと、学校の英語教育を思い出すんだよ。
僕は小学生の時に確かローマ字を最初に習ったんだけど、風邪かなんかで休んでしまってから全くついていけなくなった。
みんなは普通に答えられるのに、僕だけなんで「か」が「ka」なのか分からなかった。
「そういうものだ」って割り切れない性格の僕は、そこに悩んでいるうちにどんどん置いてかれていって、
周りよりも出来ないことがコンプレックスになって行った。
(その後中学生になるまでローマ字はできなかった。)
中学生になって、今度は英語の授業が本格的に始まったけど、当時の僕はローマ字すら分からなかったために、
次に出てきた英語の授業にも勿論ついていけなかった。
分からないと笑われるし、出来ないと笑われる。
それが嫌だけど、誰に頼ることも出来なかったから、分からないまま置いていかれて、苦手意識だけが深く残っただけの授業だった。
本来英語なんて、コミュニケーションのツールであり、初めは完璧に伝えなくたっていいもの。
文法だって意味が分かればいい。
でも、日本の英語教育は完璧でなければいけない。
少しでも違えばバツになり、正解が1つしかない。
それっておかしくないかな?
だってコミュニケーションだよ?
伝え方なんていくらでもあるし、書き方だって色々あるはずだ。
そもそも日本語を喋る前に、文法の形なんて覚えたか?
動詞がどうだとか考えてたか?
帰国子女で英語ができるやつが言ってたけど、
「be動詞とかなんとかって習うけど、俺英語喋る時にあんなこと考えたこともないよ。日本語喋る時に動詞がどうとか考えて喋る?喋らないでしょ?w」
ってな感じで。
つまりさ、本当にコミュニケーションを目的にしはてないんだよね。
お受験のための英語教育。
だから、日本人の英語レベルは極端に低いし、嫌いになる子も多い。
僕が思う英語教育の本来の在り方は、
"何かを伝える"ことと"楽しむ"ことに重点が置かれていること。
何かを伝えたいからコミュニケーションがあって、それが楽しいからもっと話したくなる。
そういう形こそが、あるべき言語教育の姿なんじゃないかな。
間違えることを責める教育ではなく、
伝えられたことを喜ぶ教育になって欲しいと願ってます。
引き算ではなく、足し算のような。
ネガティヴより、ポジティブな。
そんな感じの教育をね!
ではまた。