苦手は存在するのだろうか?というお話。
ラジオでよくお話を聞いたり、
僕のラジオに来てくれる方がいる。
その人は若いのに塾の経営をしていて、物凄く色々なことを考えているのでとても面白い。
昨日、その人の話していた話題で、
"義務教育に苦手な教科なんてない"というものがあった。
僕は「でも苦手だった教科ってあるしなぁ」と思いつつ話を聞いていた。
「義務教育とは、これから先の学びの土台、つまり基礎を作ること。その義務教育の中で苦手なんてものはない。
苦手だと思ってしまうのは、教え方が合わなかったり、先生が合わなかったりしているだけだ。
そう思わせてしまうような教育であれば、それは教育として失敗しているということ。」
というように語っていた。
「あー、確かにそうだったかもしれない。」と僕も思った。
考えるのが遅い子や、考え方が変わっている子、理解するのに時間がかかる子など、様々なタイプの子供たちがいる。
その子達一人一人に時間が割り振られているわけでも、それを理解できる先生がいる訳でもない。
僕も思い返してみれば、英語を嫌いになった理由は先生の影響が大きかった。
ローマ字の授業を休んでしまい、ローマ字がなんなのかも分からずに授業が進んでいき、急に英語へ突入。そして、何もわからないまま授業を受けては✕を付けられる…
そうやって英語が嫌いになってしまった。
ちゃんと立ち止まって教えてくれる先生だったら、全く違っていたのかもしれない。
本当は英語を好きになれていたかもしれない。
だから、苦手とは"そう思ってしまっている"だけで、本当は苦手じゃないのかもしれない。と話を聞いていくうちに考えが変わっていった。
苦手についてそこまで考えたことがなく、「苦手なら苦手で良いじゃないか」くらいにしか思ってなかったけど、今回聞いたラジオで改めて深く考えるキッカケになった。
とても有意義な時間だったと思う。
「なぜ、苦手なものは苦手になってしまったのか」と深く考え、そうなった原因を探ることで、本当は苦手ではなかったという新しい答えにたどり着くかもしれない。
新しい道を見られたような気がした。
こんな風に普段何気なく通り過ぎていってしまうような日常の議題を持ち出して、自分なりの答えを話してくれる人がなかなかいない。
なので、この人の話はとても価値があると思い今回書いてみた。
これについても色々な意見が出て来ると思うし、それで議論が巻起こればそれだけ深い理解に繋がると思う。
こういう学びがラジオにはある。
とても楽しいので好きな方は是非とも話しに来て欲しい。
ここでは名前を伏せてるけど、ラジオに来てくれたら紹介するので。
ではまた!