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ヒエラルキーという社会構造において、効率化はありえない。

 

ヒエラルキー(身分制度)ってやな言葉ですね。

学校でも見えないヒエラルキーが存在してるし、社会に出れば当たり前にあるし。

 

この社会構造って、そもそも上に上がりづらく、上が得するように作られてるんだよね。

 

この社会構造であり続ける限りは、

人間の仕事における”効率化”って有り得ないんですよ。

 

じゃあどうしてか?

それを説明していきますね!

 

 

ヒエラルキーによる社会構造自体が非効率な理由

 

まず、ヒエラルキーとは?

ヒエラルキー

簡単に言えば身分制度

上下関係ってやつね!

 

あれっていつから出来るんだろ?

部活動に入ってから?

中学生くらいから?

 

いつの間にか身に付いている上下関係。

逆らっちゃいけない暗黙のルール。

 

昔は、奴隷だとか穢多非人とか、

分かりやすかったんだけど、

現代のは目に見えない分厄介だよね。

 

昔ほどあからさまでもないし、

形としては対等になってるけれども、

実際は”常識”として付いて回る。

 

逆らった途端に攻撃されるそれは、

なんの為にあるのか?

 

それはね、

上の人間が下の人間をコントロールしやすくするためだよ。

 

社会的に仕組まれたマインドコントロールによってそうなっている。

 

つまり、

体裁を整えつつ、真の意味では奴隷のように民衆を扱うためのシステム。

なんだよね。

 

上の人間が得して、更に上の人間が得してってなるように仕向けるためのもの。

文化的に、歴史的にずっと刷り込まれてきたから、誰も気が付かないし、違和感も感じない。

 

ほら、男性は上半身裸でも公然わいせつにはならないけど、女性だと性的に意識される。

これも文化的、歴史的に刷り込まれてきたものだよね。

 

だから、僕達人間は、

知らず知らずの内にヒエラルキーを生み出して、ズブズブに浸かっている。

 

その本能にも似た特性から脱却しない限りは、より良い社会の実現なんてありえない。

 

なぜありえないのか?

それを次の章でお話しよう!

 

ヒエラルキーと社会構造

 

ヒエラルキーの中では、

有能も無能も関係なく、上にいるものの意見が尊重され、下のものの意見が軽率に扱われる。

 

例え、技術面でとても優秀な人材がいたとしても、ヒエラルキーが低いというだけで安く利用され、技術などなくとも要領のいい人間が上手く出世をする。

 

こうなれば、自分のことだけを考える人間だけが必然的に蓄積され、しかもそいつらは教育するどころか、下が自分より優秀なことを知っているため、絶対に上になど上げない。

 

だって、自分の立場が危うくなるからね。

 

だから正直者が馬鹿を見るなんて言われるんだよ。

それが真実だから……

 

今上げた例は、1つの例似過ぎないけれど、

他にもヒエラルキーの社会構造が非効率な理由はある。

 

それは、

優秀なプレイヤーが優秀な監督になる訳じゃないということ!

 

プレイヤーに求められる能力と、監督に求められる能力は違う。

 

プレイヤーは個としての成果、もしくは小さな集団での成果を求められる。

 

それに比べ監督は、マネジメント。

個をそれぞれまとめたり、各集団を束ねたりする。

 

役割が違い、求められる能力が違っているのに、昇進した途端に違う能力を求められても、出来る人間は少ないよね……

 

既に昇進した時点で自分を優秀だと思い込んでいるわけだから。

「そんな自分が指示をしても出来ないのは下の奴らが悪い。」

となるわけよ。傲慢だね!

 

だから、

上司には無能な人間しかいない。

もっと言えば、

上司にしてしまうから無能になってしまう。

ということなんですね~。

 

残念!!

 

そんな理由から、

ヒエラルキーという社会構造がいかに非効率か分って頂けたと思います!

 

じゃあ次に、どうすればいいのか?

って話をして行きますね~。

 

目指すべき社会構造

 

大概人間てのは人の経歴や実績、肩書きが好きだ。

だから簡単に詐欺に会うし騙される。

 

皆さんもそういうの好きでしょ?

「○○の資格を持ってる」

「○○の大学出身」

「年収が○○万円」

とかさ。

 

何の資格を持っていて、それをどんなことに活かしているのか?どうしてそれを取ったのか?

その大学で何を学び、何をしてきたのか?

何が楽しくて、何が嫌だったのか?

何の仕事でそれだけの年収を稼いだのか?どれだけの人を幸せにしてるのか?

 

各項目それぞれ僕ならそれくらいのことは考えてしまうけれど、一般の人間はそうそう考えやしない。

 

考える人います?

少ないと思うんですよね~。

 

だから、

誰もが見て分かるようなものは、

人を見る指標から省くべきなんです。

それはおおよそ、フィルターを通して見ている偏見の評価でしかないのだから。

 

人を見るならば、

どんな人間でも対等に見られることがまず第1条件です!

 

尊敬も卑下もなく、ただその人を見る。

 

何が得意で、何が苦手で、根本に何を持っているのか。

それを見ることから始めることですよ。

 

そして、

社会蔓延する上下関係といヒエラルキーを排除し、常に対等に意見を言い、聞き合える関係こそが理想じゃないですかね。

 

そしたら、自ずとPDCAは回りだし、

環境は改善され、不平不満も減り、

心地の良い職場では良好な人間関係が構築されていく。

 

少数精鋭のベンチャー企業の成長率が高かったりするのはそのような要因が隠れているのではないかなぁと。

 

一人一人が認め合い、助け合い繋がる関係。

 

縦に連なる社会ではなく、

横に広がる社会の効率性。

 

それが目指すべき社会構造だと、

僕はそう考えています!

 

皆さんはどうでしょうか?

どう思いましたか?

 

もし良ければ、

コメントなどで教えて下さい!

 

ではまた!