人は間違う生き物だから。人は忘れる生き物だから。
今日も僕は何か忘れていないか心配になる。
そんな時は大抵何か忘れているものだ。
たぶんなにも忘れていなくてもそう思うだろうけど。
でもそれは後になってからしか分からない。
いつだって後の祭り。どんなに気にしていても、「あ!コンセント抜くの忘れた!」とか小さな忘れ物は残ってる。
プライベートだけならそこまで問題でもないけど、これは仕事でもやっぱりやってしまう。
何かを間違えてしまったり、なにかを忘れていたり。
でもそれって悪いことなのだろうか?
間違うこと、忘れることは悪いことなの?
皆がそうだと言うならば、そこには工夫する余地がある。ビジネスチャンスがある。
人を責めている暇があるなら、原因をチャンスと捉えられる程度の知見を持つべきだ。
人を責める人間は、人を責められるほどに学んでいるのだろうか?否だろう。
間違いから起こった歴史的な発明や発見は山ほどあるし、忘れてしまうからこそ人の知能はここまで進化出来た。
”完璧ということほど絶望的なことは無い。”
(みたいなことをどこぞの漫画で見た気がする。)
それを知らずに、ただ悪のように拒絶してしまうのは勿体ないことだ。
一見マイナスの様に思える事柄にも、
「だからこそ」と言う言葉を使って考えてみると新しい見方を発見できる。
”皆が間違えてしまう書類だからこそ、テンプレートが出来た。”
のように、そこに工夫を生み出すのは不満であったり間違いであったり、マイナスに思える事柄だ。
今まで書類を間違えてこなかった人も、気を付けなくて済むようになれば仕事が楽になる。手間が省ける。
視野を広く持ち「工夫の種を見つけた!」と思えるようになれば、周りとは少し違った世界を見られるようになるだろう。
忘れることも同様に、悪いだけの物じゃない。
確かに物忘れには悩まされる。
人の名前もよく忘れてしまう。
でもそれだけの事だ。
命を落とすようなものならば、忘れないように誰かが工夫しているはずだ。
もし、そうしていないのならそれこそチャンスではないか。
人は忘れるから、悲しみも時間が解決してくれたりする。全てを覚えておくというのは、一見凄いことにも思えるけど、不幸な出来事や辛い出来事までありありと思い出せてしまうのは、それはそれで苦しい。
”大いなる力には、大いなる代償が伴う。”
ということだろう。
(この言葉もどこぞの映画かマンガにあった気がする。)
ちなみにチンパンジーの瞬間記憶力は、一般の人間より高い。思考力は人間に劣るものの記憶力では勝っている。
それを逆説的に言うならば、人は忘れるという能力を手に入れて脳機能を思考に特化させることが出来た。チンパンジーはそれが出来なかった。その違いが、98%遺伝子が同じと言われる人間とチンパンジーのたった2%の差なのかもしれない。
番外妄想
まぁとは言っても、自由に記憶を記録消去出来るのであれば、それに越したことは無い。
そんな便利で自由の効く脳みそにいずれ進化するのだろうか?
そしたらオートメーション化されている身体からのSOSが随時鳴り響いて、夜も眠れなくなりそうな気もする。
「⚪⚪ウイルス進入!!」
「⚪⚪ウイルス排除!!」
なんて、毎日膨大な数の報告があるだろう…
ある程度任せるところは身体に任せて、適当に管理することも大切なんだろうな。
そこら辺をロボットも同じようにしたら、簡単にAIが自我を持ち始めたりしてw
そんなことを妄想する日々です。
おわり。