変わった僕の、変なブログ。

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「気を付けろ」という指摘は1番の甘えだ。

何かをミスをした時に気を付けろと最近言われることが多い。

その度に疑問に思う。

 

「気を付けろ」という言葉はあまりに無責任では無いのかと。

 

 

気を付けるには限界がある

 

人が気を付けられる物事には限界がある。

だから、気を付けろと言われて気を付けるものを増やし続けて、全て覚えていられるほど人の脳は万能じゃない。

 

それにどんなに気を付けていたとしても、ずっと意識をそこに向けていられる訳では無い。

自分ができていることだから人も同じようにできるなんてことも無い。

 

だからこそ、仕事において「気を付けろ」とだけ言い続ける人間は、さほど相手のことなど考えてはいないのだろう。

 

「気を付けろ」と言う言葉は発言者の甘えだ

 

仕事で「気を付けろ」と言うだけなら、誰にでもできる。ましてやそれが自分より立場上下にいるい人間なら尚更簡単に言える。

 

だが、それで何が変わるのか。

そもそも気を付けていたかもしれないし、気を付けるべきではないと思っていたかもしれない。価値観の違いによる優先順位があるかもしれない。

 

そういう可能性を一切無視して言う「気を付けろ」にどれだけの意味があるのか。

僕はないと思う。自己満足に過ぎない。

「気を付けろ」と言ったことによって、責任を転嫁し、自分を守っている。

何かあっても「自分は気を付けろといったのに気を付けなかったあいつが悪い」と逃げ道を作っているだけだ。

 

本当に相手を思っているのならまずは相手の話を聞く。それがないのが何よりの証拠。

 

発言一つ一つにちゃんと人間性は出ている。

 

気を付けるのではなく、気を付けずに済む方法を考えるべきだ

 

仕事における「気を付けろ」とは、主に危険であったり、何かのミスをした時に言われる言葉だ。

 

基本的に1度言われれば、好き好んで同じことをする人間はいない。じゃあなぜ繰り返してしまうのかと言えば、そこに原因があるからだ。

 

原因があるなら、それに対する対処をミスした者と共に考え工夫すべきで、言葉一言でことが済むなら誰も苦労はしないだろう。

 

「気を付けろ」というたった一言だけでも、それを発言した人間がどれほど怠惰で卑怯な人間かが分かってくる。

もちろん軽い気持ちで使っている者もいるかもしれない。

 

ただ、日頃の行いと照らし合わせて言葉に注目してしまえば、真意は簡単に見抜ける。

身に覚えがあるなら「気を付けろ」という言葉や、他の言葉で逃げていた自分を顧みるべきだ。

 

自分がいかに自分を甘やかして、考えずにいるのかを。

それも出来ないのであれば、少なくとも人を管理すべきではない。その権利も才能もありはしないのだから。