「学ぶ(学習)」と「勉強」の違いについて思うこと
僕は勉強が嫌いだ。
勉強という言葉を聞くだけで眠くなるし、やる気もなくなる。
でも、学ぶという言葉だとそれほど抵抗はないし、むしろ自然に行っている。
どちらも、意味としては混同されることも多いくらい似た言葉のはず。
なのにこの違いはいったい何なのだろうか?
どうして僕は勉強という言葉にこれほど嫌悪感を持ってしまったのか。
勉強は”勉を強いる”と書く。
僕が持つ勉強へのイメージは、「強いられるもの」だというのが強い。
実際に受けてきた義務教育も、選択権もなく自由意志も許されず、ただ一つの答えに向かうだけのものだった。
特に算数の答えの出し方であったり、国語の授業で作者の気持ちの答えが決まっていたり。
本当に正しいのかを考えるのではなく、正しい前提で進んでしまうことに納得がいかなかった。
知りたいことが他にもいっぱいあるのに、時間も学びも制限されてしまう。興味のないものを強要される。
そんな悪いイメージだけが残ってしまっている。
それがトラウマのように作用して勉強という言葉に対する嫌悪感になっていると思う。
辞書を調べてみても「やりたくなくてもやる」というような意味があるようだし、やっぱり勉強は好きになれそうにない。
”学ぶ”と”勉強”の違い。
この二つの違いには、どうやらやる気の有無が関係しているらしい。
勉強はやる気に関係なく目的のために行わなければいけないのに対して、
学びは本人のやる気によって自然に行われる。
他にも学ぶことは(真似ぶ)から来ていて、動物にもできるが、
勉強は人間しかできないという違いもあるみたいだ。
こうして比べてみると結構違う。
僕は個人的に、学ぶことは気付きに近いとような気がしていて、学ぼうと思って学んでいるというよりは、したいことをするために「あ!こうするのか!」みたいな感じで学でいるんじゃないかと。
勉強は○○するためにという意思で行い、
学びは○○したいからという好奇心で行っている。
だから勉強には欲に抗うための苦痛が伴い、
学びには欲に従うため喜びが伴うのかもしれない。
やはり、僕は学びを好きなまなで勉強は嫌いなままでいこう。
おわり。