変わった僕の、変なブログ。

僕の考えとかアイデアとか面白かった本とか新しい商品とか、覚えておきたい、残しておきたいものを書いてます。

林先生の初耳学は、学べることが多くて楽しい。

 

林先生の初耳学をほぼ毎回見ているけど、今回(7月8日放送)の内容は特に面白かったので、それについて自分の考えもふまえて書いておこう。

 

僕が気になったのは、

 

 

これだった。

 

完璧主義の優等生

無能な者ほど、不可能をやろうとする

これはほんとに良く分かる内容だった。

真面目で完璧主義な人ほど、自分で何でもやろうとしてしまいギリギリまで頑張ってしまう。

期限ギリギリだったりすると修正も間に合わないし、結果的にその頑張りがマイナスになる。

本当ならそんなに頑張らなくとも、大雑把に形を作って持っていき、意見を仰げばいい話なんだ。

最初から完璧にできる人間なんていないし、もし1発で完璧を求める上司がいるとすればそれこそ無能そのものだ。

 

問題は、そういう上司やら先輩やらが社会にうじゃうじゃいることだと思う。

確認のために意見を仰げば罵倒したり、かと言って自分だけでやって失敗しても罵倒したり。罵倒するという時点で既に無能だが、そういう奴らが、優秀な若手さえも無能に変化させている。

 

つまり、社会に巣食う癌だと僕は思う。

(弟の職場にもいるみたいだ。)

 

現代教育は150年遅れている

授業のレベル

授業のレベルは言うまでもない。

数十人を箱に敷きつめて同じ文言を繰り返す。これが150年も前から変わっていない。

作業的に何かを覚えると言うだけの教育。教育と言っていいのかさえ僕は疑問だ。

まるで統制のとれた兵士でも作るかのような授業。個人の頑張りを評価せず、常に比較され劣等感を持たされてカーストを作り出す。

若しかすると、虐めの原因の一因に日本教育は関連してるんじゃないかとさえ思う。

 

まぁ虐めに関しては1つの要因を取り除けばまた1つと増えるものなので、こればかりはどうしようもない気もする。

立ち向かえるなら立ち向かえばいいし、そうでないなら逃げるための道も用意してあげるしかない。

少なくとも行政が役に立たない以上、各家庭に委ねる他ない。

せめて虐めの責任を親が全て負い、更に厳罰化されれば抑止力程度にはなるとは思う。

 

話はそれたけど、とにかく日本の教育は遅れている。

特にこれから先は、「個性」の力が大いに評価される時代になる。

いかにして子どもたちにそれを教えていくか。先生や親がまずはそれを学ぶことから始めないといけない。

 

まずは子供を子供扱いするのではなく、しっかりと話し合い、一人の人間として扱うことを意識しなければならない。

そして、親は”雇われる以外の生き方"を教え伝えるのが、何よりも先決になってくると思う。個性を活かすためにも。

 

学力には親の責任がある

これは、、本当に悲しいことだけど、産まれた場所によって学力の差は出てしまう。

親がどれだけ子供と密にコミュニケーションをとっていたか。そこが大きく関係するらしい。

やはり、ちゃんとした親の元に産まれなければ、まともな学力も得られないし、優秀な人間にはなかなかなれない。

良い家庭に産まれた人間と比べて、圧倒的な努力が必要になるし、それをしたからと言っても成就するとは限らない。

 

残念ながら蛙の子は蛙なんだ。

せめて、日本の教育自体が変われば、多少は報われる子供も出てくるだろうとは思う。

だが、現状として救えない子供は多い。

 

もし子供の頭が悪いと思うなら、そう育てたのは他でもない親であるあなただ。

 

教師が舐められるのは自信が無いから

これは、確かにと感心した。セミナー講師や講演家で、自信なさげに喋る人間は見たことがない。

最初から優秀で自信を持っていたであろう林先生が、この事に気付けているという事には素直に感心する。

 

自信を持って喋れば、例え間違えた事を言っていたとしても、自身がそれを"正しいこと"のように錯覚させるのかもしれない。

つまり、自信とは"説得力"のことなのかも。

 

そう考えると、それがないから舐められると言うのは間違ってないし、子供がそれを感じとっているのは、やはり子供も馬鹿ではないのだ。

子供を舐めていれば、子供からも舐められるのだろう。

 

服装を正すべき

これは、きちんとした服装で「きちんとしたこと、正しいことを言う人だ」というイメージを作り上げるためにそうしてるみたいだ。

 

ただ、僕が講演家を調べていく上で分かったことは、見た目はそこまで関係ないらしいということ。

メンタリストDaiGoによると、服装を変えて講演をした所でさほどお客さんの満足度に違いがなかったそうだ。

有名な講演家の中には、奇抜な服装をしている人がいるけど、奇抜な服装をしていようと、それを上回るほど喋る内容に価値がありさえすれば、関係なく人の心を掴めるらしい。

 

変な服やダサい服でも凄い人というのは、最近増えてきた気もする。そこには驕らず、飾らず、本心を話している様な印象を持ったり、はたまたギャップであったり、様々な意味合いを含んでいるのかもしれない。

 

ちなみに僕が講演するとすれば、とても柔らかい素材の甚平を着ると思う。

個人的に好きなのでw

 

成功体験の押しつけは危険

林先生の学生時代の闇も感じられたと同時に、何よりとてもいい話だった。

林先生は、ラグビー部だったらしいがそこで学んだことは、「自分に向いてないことをいくら頑張ったところで成果は得られない」という事。

失敗と成功を知っているからこそ、勉強という得意分野を活かしてあそこまで成功したんだと思う。

 

見出しになってる話の内容は「自分が何かで成功したりしていても、それを押し付けるのは間違い。」というようなものだったけど、これは本当にその通りで、ここを勘違いしている人間はあまりにも多い。

 

イベント行事、部活動、勉強、事業、なんでもいいが、それで成功できたからと言って、他人も同じもので成功出来るとは限らないし、ましてや持っている価値観も才能も違う。

一人一人の個性を無視して、自分の成功だけを押し付けるような教師は、学生にとって最悪だ。教師だけでなく親もだが。

 

僕は身をもってそれを体験している。

親から好きでも得意でもないスポーツを無理矢理やらされた挙句、まともに話すら聞いてもらないまま強制的に続けさせらていた。

それは親の「スポーツをすれば礼儀正しく良い子になる。」という自分の成功体験を無理やり押し付けられた結果だ。

お陰様で、青春時代は地獄だったし、練習で疲れ果ててまともに勉強する気も起きないし、精神的にはほぼ鬱状態だった。

なぜ学校に通っていられたのか今思うと不思議だが、きっと追い詰められて洗脳される人間はあんな気持ちなのだろうと思う。

 

とにかく、恐怖で支配するような関係にろくなものは無い。

何故ならそこにはコミュニケーションは存在しないからだ。

そこにあるのはただの命令。

 

林先生の言葉をまとめるなら、

「成功は人の数だけあるのだから、自分の成功=他人の成功にするな。その子、個人の成功を見つけてあげなさい。」

ってことだろう。 

 

ブラック部活はブラック企業に通ずる

これについては、僕もどこかで書いたような気もするけど、当たり前のことだよね。

学校の延長線上に会社があるわけで、教育がブラックであれば、会社に入ってもそのブラックを受け入れる。

部活動はそれが分かりやすくて、よく言う体育会系は、上の言うことに逆らえず間違えも正せない。どんなに間違っていようと、不正であろうと(某大学のタックル事件のように)逆らうという選択肢がなくなる。

それをそのまま会社に反映すると、上の言うことを「はい!」と1つ返事で聞くフットワークの軽い社員と思われる。そう思っている上司も馬鹿だが、それに気に入られたらそれこそ地獄へまっしぐら。

ブラック体育会系企業の出来上がり。

無理難題もどんどん押し付けられて、自分もどんどん疲弊していく。

 

多分、それを分かっている上司と言うのは日本企業にほとんど居ない。

特に大手企業で働くたまたま入れた団塊世代なんぞは最悪。ただの運を自分の実力のように勘違いして、さらにはふんぞり返って学ぼうともしていない。

企業説明会などもでも見てきたが、あんな金だけあるバカの下にいたら、学べることも無く、ただの安月給介護状態だ。

 

若い人達は、是非とも就活の際にそこら辺をよく考えて欲しいと思う。

驚くと思うが、比較的大人は馬鹿な人間の割合が大きい。優秀な若手ほどそれを痛感すると思う。

 

 

と、ちょっと愚痴も入ったけど、そんなことを考えて見てました。

林先生の番組は面白いので、他にもまた気になったら書きます!

 

ではまた!