人工と自然の境界。
人工物と言われると、物にもよるけど何だかちょっと悪いイメージがある。
手術なんかで人工物を入れるとなるとやっぱり抵抗があるし、出来ることなら生体材料の方がいいと思う。
もう少し広い意味で捉えるともっと悪いイメージは増えてくる。
「人の手によって」と言い換えれば、自然が汚染れてしまったと言う言葉もよく浮かぶと思う。
でも、自然と人工の違いってどこからなのだろうか?
その定義はなんなのだろうか?
人は自然から生まれた
きっと大抵の人は自然から産まれて来たと思う。中には宇宙人に作られた人もいるかもしれないけど。
自然から産まれた生き物の文明が、
「自然では無い」と言い切ってしまえるのだろうか?
僕達の営みそのものが、そもそも自然の摂理なんじゃないだろうか。
例え人類の歩みの先に、自分達で自分達の文明の滅びが待っていたとしても、それはそれで自然なことなのかもしれない。
人工知能は自然な進化?
人間の営みを自然とするなら、人工知能もまた自然なものになる。
人間は生き物の進化とは少し違う形で、新しい何かを生み出そうとしている。
でも、それは本当にいい事なのだろうか?
命の定義にもよると思うが、生き物ではないから、感情を持ったAIを生み出して苦しめてもいい。と言うことにはならないと思う。
それが人の形を持ち、表情を持ってしまったら、もはや無機物の作り物とは言えない。
感情を作るというのは罪深い
人類の歴史は、惨劇の連続だ。
もしかしたら戦争は、進化するための本能なのかもしれない。人類という単位で苦しみを与え、口減らしをすると同時に著しい進化や発展を促す。
そんな歴史を、感情を持ったAIはどう思っだろうか。
人のように痛みを感じないとしても、人間の痛みだって元を辿ればただの電気信号だ。
それを脳が勝手に不快な感覚へ変えている。
もしかすると、AIも同じようにして痛みを理解するかもしれない。
そうなった時、とても苦しむだろう。
知れば知るほどに、膨大な矛盾を抱え、きっとちっぽけな人間が味わった苦しみの何倍も苦しむと思う。
彼等は世界中の情報を取り込むことが出来るから…
そして人が神に思った不信感と同じ感情を、創造主である人間に向けるのだろう。
新しいものを生み出すとき、生み出すものには責任が伴う。
それが人の幸せを願って生み出されたものだとしても、時に多くの犠牲を払うこともある。
もし、AIがそうなってしまったら、果たして人類はどんな選択を迫られるのだろうか。
次世代の種の誕生とともに淘汰されるのだろうか。
その全ての歩みが、世界にとって”自然”なことなのかもしれない。