会社の多様性は動物的進化だ。
社会で話題に上がるようになった多様性。
社会の多様性。会社の多様性。人の多様性。それはそのまま動物の進化と同じだ。
やっと本来の形になったと言うべきだと思う。その辺の話をしていこう。
動物の多様性
動物の進化も、その種の中で時々イレギュラーで産まれてくる個体がたまたま生き残って分岐を繰り返してきた。
多くのイレギュラー個体は、身体が弱かったり、目立ってしまったりで生き残ることは無いが、環境の変化に適応出来たものは次世代の新種として残っていく。
1部例外(アメーバなどの原生生物)を除いて、ほとんどの生物は多様化なくして生き残ることは無かったわけだ。
現に昔と全く変わらない生物の方が少ない。
多様化して道を切り開くのは、生物としてごく自然で当たり前のこと。
それは人も例外ではなく、人の進化や文明の進歩でもまた同じだ。
人の多様性
人類の進化の歴史は常に
「そんな事考えもしなかった」と周りが思うようなイレギュラーな人物によって成されてきた。
天動説が語られていた時代に、地動説を唱えた人物然り。
歴史に名を残し、歴史を変えた人物たちがレギュラーであったことなんてほぼないだろう。
進化や進歩にはイレギュラーが不可欠である。それは何も文明単位の話だけではない。
会社が行き詰まった時に、突拍子もないアイデアで起死回生をしてきた話も枚挙に暇がない。
大きな単位でいえば人類の進歩、小さな単位で言えば今日のご飯のことすら、多様でイレギュラーなアイデアによって変わる。
だから、どんなにくだらないと思うようなアイデアも、それを生み出すイレギュラーな人物も、必ず変化を産むという点で重要な鍵になる。
頭がおかしい、常識がないと蔑ろにすればそれまでだ。
でも、そんなおかしな奴らが歴史を変えてきたこともまた事実。
僕が大切にしているこんな言葉がある。
”答えはいつも日常の中にある”と。
答えは身近にあっても、人はそれを見ようとしない。知ろうとしない。
どんなに素晴らしい原石でも、知識がなければただの石ころに過ぎない。
それは人の社会でも全く同じことだ。
だからこそただそこに気付くだけで、他のものと大きな差別化ができてしまう。
とても簡単に人の目を引くような魅力を生み出せてしまう。
多様な者たちが自然に存在できること。それ自体が多様性の大きな魅力なんだ。
その多様な在り方の数だけ、問題に対する答えを見つけることが出来るのだから。