僕達が思う羨ましさは、お金持ちの1万円みたいなもの。
人を見て羨ましいって思うことがあると思う。
ない人がいたらすごい。
モテたいとか、お金欲しいとか、頭が良くなりたいとか、勝ちたいとか、地位が欲しいとか。
色々な事の羨ましいで溢れている。
でも、考えてみたら自分達も誰かの羨望を向けられる側になっているんじゃないのか?って思う。
そして、そんな羨望を受ける側の自分達にも様々な悩みがあるように、羨ましいと思って見ていた人達にも、その人達なりの苦悩や苦労がきっとあるんだろうと。
結局のところ、それは価値観の違いで、何を基準にしているかの違いなんだよね。
モテる男性からすれば、女性は当たり前にいるものだし、金持ちの1万円はそんなに高いものじゃない。
羨ましいって思っても、当たり前の基準が違うから、羨ましいと思われた側には当たり前の日常。
その羨ましいと思ったものの大切さは、ないから分かるんだと思うし、ないからこそ憧れてしまうんだと思う。
それは自分達も同じで、自分達の当たり前を当たり前だと思うように、そんな当たり前を羨ましいと思って見ている人もいるように。
慣れてしまうと大切だったって忘れてしまうのかもしれない。
だから人を羨んだ時に、自分達にあるものをもう一度見直すチャンスだって思えたなら、羨ましいという気持ちも初心を思い出すきっかけになるのかもしれない。
最初の自分に立ち返られるように、羨ましいという気持ちは、大切に持っておきたいと思った。