今の時代だから生まれた凡人故のチャンス
YouTuberという人達がとても稼いでいることを知っているだろうか。
でもその一方で稼げていない人達も山ほどいる。
その違いはなんなのだろうか?
どうすれば人は見たがるのだろうか?
その一つの答えになるのが今回題名にもなっている、”凡人故のチャンス”だ。
凡人であることに価値がある
「何を言ってるんだ?」と思う人も多いと思う。
凡人じゃ人は見ないと非難されそうだ。
でも、ある映画監督がこんなことを言っていた。
「どんな人間の人生だってつまらないことなんてない。自分と違うと言うだけで十分面白い映画になる。」と。(そんなニュアンス)
人は自分が思っている以上に、人を気にして生きている。
あの綺麗な人の日常は?
ダサいあいつのすごい特技は?
驚くような転落人生
夢のような逆転人生
人は気になっている。
自分とは違う在り方を。
嫉妬も、憧れも、全部がエンターテイメント。
だけどそれだけじゃない。
凡人である人々の暮らしだって最早ひとつのエンターテインメントになっている。
一緒にご飯を食べているような気にさせる動画や、日々の生活をただ見せてくれる動画。
そんなものが、人の支えになったりする。
「自分だけじゃないんだ」という共感は、簡単に繋がれて、でもその繋がりが希薄になってしまった現代だからこそ、大きな価値があるんだ。
一人暮らしをしているとよく思う。
「寂しい」と。「人の声が聞きたい。」と。
でも、そんな時恋人も家族もいない人だったら、一体誰を頼ればいいのだろうか。
そこを埋めてくれるのが”共感”というコンテンツだ。
凡人であるからこそ、自分に近い人間だと分かるからこそ、寂しさを持つ人々に何度も見られるような動画になったりする。
僕が一つ答えを出すとしたらそれは、
”誰かが見たいと思うものは、自分が見たいと思うものだ。”
ということ。
まだまだ答えはいくつもあって、これからも増えていくだろうけど、人に必要とされるもは必ず誰かが必要としている。
当たり前のことだけど。
その誰かが自分であるかもしれないし、友達かもしれないし、家族かもしれない。
でも、チャンスとヒントは、どこにでも落ちているからね。
それは誰の日常でも同じことだよ。
おわり。