教育を語ります。
教育。
教え育てる。
言葉的には至極単純で、
意味を分かってる人は多い。
でも、理解している人はどれだけいるだろう。
あなたは理解していますか?
"教え育てる"とは
教える人間も教わる人間も
共に成長すること。
一方的に、言葉を発すことでもないし
一方的に、話を聞くだけでもない。
お互いの持つものを分け与え合い、
1+1を2以上にすること。
学校だけじゃなく、会社や親子関係、
全てにおいてそれがどれだけ大切なことか。
教える側の人間がその知識を持つだけで、
その場は驚異的に驚愕な程に変化する。
人の成長速度は比較にならないほど上がっていく。
なにも、社会的に優れた人間が、皆教えることにおいても優れているのかというとそうではない。
出来ないからこそ、
「やり方」を作り「工夫をする」
だから、失敗を知っている人間の方が
遥かに教える能力は高い。
能力の高さで言えば、弱い人間の方が高くなる。
自分の弱さを自覚し、生きる為に工夫をせざるおえない、考えざるおえない環境は、
教育者として見た時、圧倒的な力だ。
逆に失敗をすること無く、人を見下し続けたり、自信を常に持ち続けた人間や、自分を疑うことを知らない人間は、
それだけで教育者として最底辺。
それを自覚できないから、成長することもなく、さらに他人に自分の正しさを押し付けて、会話すらままならない。
この社会をおかしくしている人間のほとんどは、そのことに気付かず、他人の意見に耳をかせない人間達だ。
「なぜ、言った通りにできない!」
「なぜ、そんなことも出来ない!」
「なぜ、俺はできたのにあいつは出来ない!」
その答えは一つ
「違う人間だから。」
遺伝子の98%同じ猿を見ても分かるし、
遺伝子が99.9%同じ一卵性の双子でさえ得意なことは異なる。
「違う」ということを理解できないだけで、人は人を蔑み、差別し、攻撃し、偏見を持つ。
僕から言わせてもらえば、大人の中に精神的に大人になっている人間なんて、砂漠の中からゴマ粒を探しているくらい、少なく感じる。
そこまではいかなくとも割合的に少ないし、
それだけ価値ある存在だ。
言っていることはとても簡単なこと。
「自分の意見と他人の意見、両方をちゃんと聞いて、考えて、話すんだよ。」
ただこれだけ。
それでも意見が違うなら、根本的に会わないだろうし、お互いに干渉することを辞めればいいだけ。
ただそれだけの事を出来ないがために、自分は苛立ち、他人を傷つける。
他の記事で話した
"会話のキャッチボール"は
意見を伝え合うために重要なこと。
人は感情を持った人であって、
プログラムで動いている訳では無い。
何も考えてない人もいるかもしれないが、考えている人間もいる。
それを聞きもしないで本人以外が勝手に判断することほど、失礼なことは無い。
それを無視して何かを教えた気になっていても、相手には伝わらないし、嫌な思いをさせるだけ。
嫌われるだけだ。
何度も言うけど、
必ず、相手の意見を聞くこと。
怒鳴る、叱る、怒る、その前に、
まず、聞くこと。
それが、教育者への第一歩です。
これを読んで「はっ!」と、
気付くことが出来た人は、
成長できる可能性のある人です。
是非とも、
人を笑顔に出来る"教育者"に
なって頂きたいです。
ではまた。