当たり前とか、普通ってなんなんだろうね。
当たり前とか、普通ってよく言われることが多くて、ふと考えてみた。
でも、考えてみたけどそこには答えがない。
答えなんてあるわけないんだよね。
「普通」と「当たり前」
この基準は、言ってしまえば人の数だけ存在する。
普通とか、当たり前とか言われたって、知らなかったら、それは知らないものでしかない。
常識って言葉もそうだけど、その線引きは誰かが勝手にしているもので、決まった基準がない以上曖昧な言葉なんだよ。
だから、それを振りかざして
「知らない奴が悪い」
なんて決めつけるのは、
とても軽率で愚かな行為。
それを人に教える機会があれば、
何故それが必要なのか?
本当に大切なことなのか?
って気付くことも多いかもしれない。
しきたりやマナーだって、
歴史の中のどこかで作られたものだし、
それが時代とともに変わるのは何もおかしなことじゃない。
料理のマナーだって、ナイフとホークを持つ手は決められてるけど、僕は逆の方が持ちやすいし、そもそもあれは左利きの多い欧米人向けの作法だ。
そして、マナーとはそもそも
「気持ちよく食事をする」
ためのもの。
だったら、ナイフとホークを逆に持つことになんの問題があるんだろうか?
そうやって考えていくと、本当に必要なものが見えてくると思う。
「常識に囚われない」
という言葉は、新しい視点を持つこと。
視点を多く持てれば、視野も思慮も広がって
物事の本質を捉えられるようになる。
それって今の日本人に1番必要なものだと僕は思うんだよね。
似たようなことを過去の記事でも書いてるけど、どれも元を辿ると一つに結びつく話ばかりなので、良ければ読んでみてください。
ではまた。