僕とゲームと立ち位置と。
僕が今やってるゲームは、モンスターストライク(モンスト)というスマホゲームだけだ。
色々とやってきたけど、結局のところ残ったのはモンストだけだった。
スマホゲームをやってきた中で、合わないものも、興味が無いものもだいたいのものはとりあえず1度やってみた。
それでハマったものもあったし、直ぐに飽きたものもあったと思う。
ハマったものに関しては、勧めてきた友達が飽きても1人でやり続けたりして。
なんだかんだでいつも1人になってしまっているような気がする。
それでもやっぱり、続けてしまうのは楽しいというのもあるし、義務感というか諦めたくないという気持ちもあると思う。
ゲームをやっていて分かったこと。
ゲームをやっていると、
「これ絶対にクリアできないだろ…」と思うようなクエストとかに出くわす。
それでも諦めずに挑戦し続けてクリアした時の達成感は、拳を突き上げたくなるくらいに高揚する。
「おっしゃぁぁぁぁぁぁっ!」と叫ぶこともよくあるw
そんな経験も自分の中では多少なりとも自信になってる。
「あんなに難しいものをクリアしたんだから、他のこともなんとかなるだろ!」って。
これが部活だった人もいるだろうし、勉強だった人もいるだろう。
でも、ゲームだって人の心に何かを与えている。決してただ暇を潰して終わりというものではなく、学べることも多くある。
僕は自分がゲームをして来てそう感じることが多かった。
ゲームから学んだこと。
ゲームの種類にもよるけど、ゲームが上手いプレイヤーは、ある程度頭がいい。
それは運動神経の良さから来る瞬間的な操作や、とっさの難しい判断だったり、馬鹿でも簡単に極められるというものじゃない。
戦略的なゲームなら、味方の配置や次の手番などを呼んだり、相手の動きを予測したりとまるで将棋のような戦略戦を繰り広げる。
昔言われていたような「ゲームばかりやってないで、勉強をしろ!」というようなセリフは、「ゲームという遊びにほうけてないで、勉強という身になることをしろ」という意味だと思うが、
今の時代だと、むしろゲームの世界を極める方が難しのかもしれない。
僕のやっているモンストも、高難易度クエストだと本当に先を呼んだり味方を見たりする能力や、判断力、ルートを読む技術が問われる。
上手い下手が1手番で読めてしまう。
だからこそ面白いのだけれど、身の程を弁えずに侵入してくる輩には正直腹が立つ部分もある。
”ゲームを通して人を見る”という面接というか、グループディスカッションを行う企業も出てきたと思うが、あながち間違いでは無いだろう。
チーム戦系のゲームをやれば、その人間がどの立ち位置で力を発揮できるのか見られるし、個人戦のゲームをやらせれば、その人間単体の能力も多少測れると思う。
ゲームは本当に面白い。
その活用法は無限大だ。
辛いこともゲーム性を持たせて楽しむことだってできるし、ゲームで人の適性を測ることも出来る。
ゲームは今やバカにされるようなものじゃなくなった。ゲームを極めて活用していけば、そこにも色々な道がある。
無駄だと思っているようなことも、その道を極め続けていけば、新しい世界を見られるということを僕はゲームを通して知ったのかもしれない。
ゲームを題材に話したけど、他のものについても、偏見や思い込みで無駄だと決めつけてしまうのは勿体ないということを分かって欲しい。
僕達の身の回りには、まだまだ多くの可能性が眠っている。
その可能性を見つけられるのは、人が見向きもしなかったものを見つけられる力を持つ人だけだ。
その考えを頭の隅にでも置いてもらえれば、少しだけ世界が違って見えるかもしれない。
皆が見つけるものを、僕はワクワクしながら待っています。
是非とも、自分の好きな物を極めて行ってください。
終わり。